◆ 一部地域で出荷停止・遅延が発生しております
   詳細につきましてはこちらからご確認ください。


カステラ日記

【⑥長崎カステラとカステラの違い】

以前の日記にて、カステラは南蛮人貿易時に長崎に伝えられたと記載しました。




伝来した当時は硬くてボソボソとした食感であった「ビスコッチョ」というお菓子が、日本独自の原料や製法により現在のような広く伝わるカステラの形状になりました。

※木枠に入ったできたてのカステラ

現在カステラは、「長崎カステラ」と「カステラ」を分けて使われる事が多くなっています。




「長崎カステラ」とは、長崎で製造されたカステラを指すものではなく、一般的には「長崎式」のレシピや製法で作られたカステラの事を指定しています。


代表的な長崎にあるカステラ屋では、「福砂屋」「文明堂」「松翁軒」などが挙げられます。


長崎カステラのレシピとしては、原材料に砂糖、卵、小麦粉、水あめ(または蜂蜜)を使用して作ることが一般的です。



※カステラの基本原材料



生地の特徴としては、甘みが強く、どっしりとしていて食べ応えがあり、重厚感があるのが特徴です。




長崎式で製造されていない、いわゆる「カステラ」ですが、各地にて受け入れられるように少しだけマイナーチェンジしているものも多数存在します。



生地に牛乳やバターを入れてコクを出したり、糖分を控え小麦粉の量を少なくすることで口当たりの良い軽い生地を作るなど、工夫を凝らすことで地域に受け入れられたメーカーも存在します。



また、カステラを製造する時に最も重要な「卵の泡立て方」ですが、これについては「別立て法」と「共立て法」の二種類があります。



「別立て法」は卵を卵黄と卵白に分け、それぞれを別個に攪拌して泡立てていく製法です。



※一般的な卵白の泡立て


たんぱく質と水分でほとんどが構成されている卵白と違い、卵黄には油分が含まれております。
これにより卵が泡立つ事を阻害していきます。


ゆえに卵黄と卵白を分けて攪拌する方が泡立てる作業が楽にできます。



「共立て法」は卵を卵黄と卵白には分けずに、割卵後一緒に泡立てていく製法です。


カステラが製造された当時は、まだミキサーなどの機械式撹拌機が存在せず、卵黄と卵白を一緒に攪拌して泡立てる作業は非常に労力のかかる作業でした。



ゆえに多くのカステラメーカーは、卵黄と卵白を分けて泡立てる「別立て法」によってカステラを製造していました。



近年は機械化が進み、卵を攪拌する技術が向上。
どちらの製法でも卵を泡立てる事ができるようになりました。



ただ、作業効率やオペレーションが見直され、機械化が進む現代のお菓子製造においても、老舗と言われるカステラ屋の一部では、技術の伝承のために未だに創業当時の「手業(てわざ)」にてカステラを作り続けています。



※カステラ生地を手業により中混ぜする職人



時代が変化しても、変えていくものと変わらないもの。

その中に「伝統」や「老舗の矜持」があるのではないでしょうか。




※弊社カステラ銀装では、一部店舗で販売している「窯出しカステラ」という商品がございます。

このカステラは創業当時のカステラ焼成技術を伝承していくため、職人一人一人が材料の調合や焼成、切り分けなどを最初から最後まで行っています。
窯出しカステラについて→http://www.ginso.co.jp/goods/kama/main.html




〈まとめ〉
①カステラには長崎式で製造された「長崎カステラ」と「カステラ」がある。


②カステラ作りに重要な「卵の泡立て方」には「別立て法」と「共立て法」がある。


③伝統ある老舗のカステラ屋は技術の継承のためあえて手作業でのカステラ作りを続けている。

  • 2024.06.28
  • 18:32

【⑤カステラパフェ開発秘話について】

前回の日記にて、カステラ銀装心斎橋本店2階にあるカフェ「ラ・サール」にて、人気№1メニューであるカステラパフェをご紹介しました。





今回は、そのカステラパフェがどのような経緯で発売されたのかをご紹介します。




【若者向け新商品を作らないと…】

2020年に流行したコロナウイルスにより、弊社を取り囲む外部環境は激変してしまいました。


カステラ屋の一番の顧客層である、ご老人・ご年配のお客様の外出が著しく減少。


併せて「地域の老人の集まり」「老人会のイベント」など、ご年配の方々が集うイベントの開催もほとんど無くなってしまいました。



イベントの消滅に伴い、これまでご利用頂いていたカステラの手土産やノベルティの需要が消滅してしまいました。



加えて心斎橋本店では、コロナ対策による入国制限により、これまであったインバウンド需要が消滅。


緊急事態宣言等により、当面回復は見込めない状況が続いていました。




ご年配方々のイベントニーズ、インバウンド需要が回復するのはまだだいぶ先になるだろう…。



そこでカフェ担当メンバーは、これまであまりカステラを食べる機会のなかった若い年齢層に対してアプローチするため、カステラを使った新しいデザート新商品を開発する事にしました。



※コロナ禍での心斎橋本店




【なぜ新メニューがパフェになったのか?】


「カステラをどのようにしてアレンジして食べたいか?」

というアンケートを若者向けに社内外で実施した結果



「アイスや生クリーム、フルーツジャムなどと一緒に食べたい」という意見や


「おしゃれなスイーツとして食べたい」という意見がありました。



社内外での若者の意見を総評した結果



カステラをどれと一緒に食べたいのか?というニーズは多種多様であり、共通項としては



「色々な具材と一緒におしゃれなデザートとして食べてみたい。」というニーズがあることがわかってきました。




では、それを表現するために最適なメニューな何なのか?と考えた時、



層になったグラスの中で、様々な味わいが楽しめる、「パフェ」という選択肢が出てきました。




パフェにカステラ生地を入れる事で、層になったアイスや生クリーム、フルーツやゼリーなどと一緒に自分の好みに近い食べ合わせが可能になります。




また、昨今のSNSブームに合わせて、苺の盛り付け方や、トッピングに手作り飴細工を使用するなど、

より若者を意識したビジュアルにて「映え」を意識したパフェの構成にすることにしました。




こうして試行錯誤を重ね、商品開発に約1年半もの時間をかけました。


※試作段階のカステラパフェ




時は流れ、コロナ禍が終わりに近づく2022年3月…





外出制限などが少しずつ緩和され、脱コロナに向けて街が動き出そうという気運が高まって参りました。




これまではどちらかと言うとレトロで保守的なメニューが多かったカフェラ・サールに、若者向けのメニューが誕生したのでした。






コロナ禍により大阪・ミナミの街がすっかり勢いや活力を失う中で、老舗企業が新しい取り組みとして開発した商品であるカステラパフェは、様々なメディアにて取材を受けることとなりました。



※2022年6月朝日新聞より抜粋


※2022年4月みんなの経済新聞より抜粋



雑誌や新聞などのメディアのご紹介もあり、発売当初からカステラパフェは若者を中心にたくさんのお客様にお召し上がり頂ける人気メニューとなり、これまでカステラを食べる機会の少なかった若者が、カフェに足を運んでくれるようになりました。



現在はコロナ禍も終わり、すっかり賑わいを取り戻したミナミの街・心斎橋筋商店街。



カフェラ・サールでは、観光に来る若者以外にも、これまでに通ってくれていた常連のお客様や、海外からの外国人観光客など、様々なお客様にパフェを召し上がって頂いております。



カフェ「ラ・サール」は、関西屈指の繁華街・心斎橋にありながら、まるで昭和代に戻ったかのようなレトロな店造りとなっております。




新商品の「カステラパフェ」を食べながら、心斎橋筋商店街通りを窓際席から見下ろせば、非日常かつノスタルジックな雰囲気を味わう事ができます。



もし心斎橋にお越しの際は、今回のお話を思い出して、パフェをお召し上がりいただければ幸いです。







カフェラ・サールの紹介はこちら→カフェ ラ・サール(心斎橋駅・東心斎橋/カフェ・スイーツ) | ホットペッパーグルメ (hotpepper.jp)






〈まとめ〉

①カステラ銀装心斎橋本店2階のカフェ「ラ・サール」には看板商品のカステラパフェがある。


②カステラパフェは、コロナ禍にて主要顧客を失ったカフェメンバーが、新しいニーズと若者に来てもらうために開発された商品である。


③現在はカフェの名物商品となり、老若男女、外国人観光客にもお召し上がり頂いている。


  • 2024.06.22
  • 14:58

【④カステラを使ったアレンジメニューについて】

弊社カステラ銀装は大阪・心斎橋に本店がある事はご存じでしょうか?

1952年の創業以来、地域の方はもちろん、旅行や観光で大阪を訪れるお客様にも多数ご来店頂いております。




実は当店の2階はカフェになっております。


1980年にカフェ「ラ・サール」という名前でオープンし、本日まで営業を続けております。


このお店、実は本店1階にお買い物に来るお客様から
「どこかでお茶をする場所はないの?」とのご要望から誕生しました。


当時はまだまだ繁華街に喫茶店が少なく、ご案内できるお店も限られていました。
買い物に歩き疲れたお客様も非常に多く、お困りになられているお客様を見て当時の店舗のメンバーが

「それならば自分たちでカフェを営業してしまおう!!」
と思い立ち、オープンしました。





せっかくカステラ専門店がカフェを開くのだから、ここでしか食べられないカステラのデザートを提供しようとの思いから、今日に至るまでにたくさんのカステラアレンジメニューをご提供しております。


今回は当店のカステラアレンジメニューをランキング方式でご紹介させて頂きます。



●アレンジカステラランキング
〈第3位〉

フレンチカステラ


銀装のカステラを半分にカットしたものを2枚、手作りの卵液に浸し、バターで表面をこんがりとソテー。イメージとしては、フレンチトーストのパンの替わりにカステラを使ったホットデザートです。

トッピングにいちごや生クリーム、バニラアイスなどを付け合わせ、温かいカステラと一緒にお召し上がりいただけます。

香ばしいバターの風味と卵のコク、カステラの甘みのハーモニーをご賞味いただけます。




〈第2位〉
カステラホットプリン


冬から春先までの限定メニューですが、寒くなると一番人気が出るメニューです。

カステラを細かくスライスしてプリン液に漬けて焼き上げ、できたてアツアツのうちにバニラアイスやスライスいちごをトッピング。仕上げにカラメルソースをかけて食べるホット&クールスイーツです。

濃厚なプリンとカステラが合わさった食べ応えのあるメニューで、初めて食べた方は温かいプリンと冷たいバニラアイスのコントラストに大変驚かれます。



そして栄えある第1位は…



<第1位>
カステラパフェ



銀装のカステラを丸々1枚使ったボリュームあるパフェです。
グラスの下にはひんやりしたクラッシュゼリーやヨーグルトゼリーを敷き詰め、その上にサクサク食感のグラノーラ、生クリームやバニラアイスを重ねていきます。

仕上げにスライスいちごといちごソース、トッピングには手作りの飴細工を乗せた、見ても食べて楽しめるスイーツです。


カステラはパフェは発売以降、テレビや雑誌などにも取材頂いた当店の看板メニューとなります。




心斎橋カフェ「ラ・サール」はお客様のご要望により、カステラ専門店の喫茶部門として誕生しました。


カステラアレンジメニューに使われているカステラは全て、当店のカステ11赤箱になっております。






銀装のカステラは、福砂屋や文明堂などの長崎カステラと違い、スポンジケーキのようにふんわりとした食感が特徴です。

甘さも控えめなので、アイスや生クリーム、フルーツなどとの相性も良く、アレンジメニューに最適なカステラとなっております。



当店はこれからも「カステラのアレンジと広がり」を追求し、カステラの新しい可能性を追求していきたいと思っています。


また、上記のメニューがどのようにして誕生したのか?

開発秘話などはまたの機会にご紹介させて頂きます。


※カステラ銀装心斎橋本店カフェ「ラ・サール」の情報はこちら→カステラ銀装 心斎橋本店 カフェ・ラ・サール(心斎橋/スイーツ) - 楽天ぐるなび (gnavi.co.jp)


〈まとめ〉
①1952年創業のカステラ銀装心斎橋本店の2階は、「カフェラ・サール」というカフェになっている。

②カフェラ・サールでは、カステラを使ったオリジナルアレンジメニューを提供している。

③カステラアレンジメニューの中でも1番人気があるのは「カステラパフェ」である。


  • 2024.06.15
  • 09:55

【③カステラのレシピついて】

南蛮貿易を経て、豊臣秀吉に献上された事で長崎で広まったカステラ。




日本の長崎に伝わり改良され、現在のふんわり・しっとりとしたカステラになったのはどのような経緯なのでしょうか?


カステラの原型と言われる「ビスコッチョ」は、基本的な原材料である「卵」「砂糖」「小麦粉」などを使用したレシピで作られています。


日本に伝えられるに当たり、独自の原材料である「水飴」や「蜂蜜」との出会いにより今日の形状に近づいたと言われています。



水飴や蜂蜜の持つ特性を生かすことで、時間が経過してもパサパサと硬くならずにふんわり・しっとりとした生地の生命線である保水力を維持し、独特の食感を作り出していると言われています。




さて、カステラの原材料を語る上で外せないものである「双目(ザラメ)糖」。(※以下「ザラメ」)
カステラの生地の下に敷いてある「シャリ」とした食感のお砂糖になります。



まだ日本にてお砂糖が貴重品だった時代、「甘い物」の価値は現代のそれとは比較にならない程に高く、甘い物を贈り物や手土産にできる人は一部の富裕層でした。


目上の方への贈り物や献上品として使用されたカステラは、できるだけ甘い方が良いと言われており、大量のザラメを入れて作られていました。


生地に加えられたザラメですが、加えすぎたものは全て溶けきれず、カステラの生地の下に沈殿。




この生地に溶けきらずに残ったものが
「溶け切らないまでに砂糖を加えた高級なお菓子」という評価になり、現代までカステラの生地の下敷かれたザラメが続いてきたと言われています。


さて、溶け切らないまで砂糖が加えられたカステラは、今の味覚にしては甘すぎるため、現代で販売されているザラメが敷かれたカステラのほとんどは

「焼成のために枠型に生地を流し込む前に、あらかじめ敷いておく」形になっています。
※長崎の老舗「福砂屋」の長崎カステラは、一部商品で初めに入れたザラメを溶かしながら焼いているとの事です。



当時と今の甘い物の価値は変わりましたが
「ザラメが敷かれたカステラ」というお菓子は、意味合いが変わった今も、変わらずに受け継がれています。




まとめ
①南蛮貿易で日本に伝わった長崎カステラは、「水飴」や「蜂蜜」と出会い、現在のふんわりとした生地となった。


②カステラの生地に敷かれている「ザラメ」は、カステラに過剰なまでに加えられた砂糖が溶け残ったものだった。


③現在のカステラは当時と比較して大幅に甘さが控えられており、ザラメがあるカステラも、生地を焼く直前に後から加えられたものである。

  • 2024.06.07
  • 11:36

【②カステラの日本における起源】

前回の日記にて、カステラはカスティーリャ王国由来のお菓子で、ポルトガル人が南蛮貿易の際に日本に伝えたと説明しました。 



では、どこの誰にカステラを伝えたのか?


当時の資料は正確な記述がほとんど残っておらず、一部では
1592年に、当時長崎の役人であった「村山等安」という人物が豊臣秀吉に献上したことが始まりであったとの記述があります。


当時、南蛮貿易の際に訪れる宣教師が、キリスト教を普及させることにより信者を増やすことで、その国を占拠し支配下に置くという図式がありました。


信長の時代では、既存の宗教に対抗すべくキリスト教の普及に前向きでありましたが
秀吉の時代になると、徐々にヨーロッパ諸国の戦略が明らかになってきました。


1587年、秀吉は九州平定により島津氏を降伏させると、長崎がポルトガル人の教会領となっている事に激怒し、自身の直轄の地としました。


その後、前述の村山等安が秀吉の朝鮮出兵の際にお礼参りをする事になり、その際に南蛮人から教わったカステラを献上したと言われています。


秀吉はカステラをとても気に入り、後に等安を長崎の代官に任命。

秀吉という後ろ盾を得て、地位を固めた等安が献上した事がきっかけで、カステラは長崎に広く普及し、今日の「長崎カステラ」に至ると言われています。


このような背景から、長崎には多くのカステラ屋が誕生しました。
有名な「カステラ御三家」としては「福砂屋」「文明堂」「松翁軒」などが挙げられます。


ただ、長崎を中心に日本に伝わったカステラが日本全土に伝わり、広く普及するのはまだ少し先の話になるのでした。


〈まとめ〉
①1592年、当時長崎の役人であった「村山等安」という人物がカステラを朝鮮出兵前に豊臣秀吉に献上した。

②秀吉はカステラをとても気に入り、献上した村山等安が後に長崎の代官に任命される。その影響で長崎にてカステラが広まっていった。

③長崎カステラの中でも、カステラ御三家と言われる「福砂屋」「文明堂」「松翁軒」が存在する。

  • 2024.06.04
  • 15:02

【①カステラの起源とは?】

皆様が普段、手土産やお持たせ、長崎旅行でのお土産として貰ったりするカステラ。



実は日本発祥のお菓子では無いことをご存じですか?

カステラは16世紀の中頃に南蛮人(ポルトガル人)により日本へ伝えられたと言われています。


この頃に日本へ伝えられた、いわゆる南蛮菓子にはカステラのほかボーロ、カルメラ、アルヘイトウ(有平糖)、コンペイトウ(金平糖)、ビスカウト(ビスケット)等があります。

実はヨーロッパにはカステラという名前のお菓子は存在せず、ポルトガルの隣、当時の大国カスティーリャ王国(スペインの前身)の名前に由来すると言われています。


即ち、「カスティーリャのパンもしくは菓子」の意味であり、その「カスティーリャ」(ポルトガル語でカステラと発音する)だけが言葉として残ったものでしょう。

となるとカステラの起源はスペインにありということになります。



ところで、カステラの基本材料は、小麦粉と卵と砂糖です。
これに近いスペインの伝統菓子を探してみるとビスコッチョ(BISCOCHO)というお菓子に出会います。


ビスコッチョそのものは現在のスペインにおいてはごく普通のスポンジ菓子ですが、その発生は、遥か中世に遡ることの出来る歴史的な菓子です。

まずビスコッチョ(BISCOCHO)という言葉は、ビス(BIS)とコッチョ(COCHO)に分解できます。

(BIS)は二度の意味であり、(COCHO)は熱を加えることです。


つまり、二度焼いたパンの意味です。本来はこの様に非常に堅く、日持ちのよい物でした。

それが時代の経過とともに多少とも柔らかいスポンジ状の菓子もビスコッチョと言ったのでしょう。


しかしながら日本に渡来した当時のカステラ=ビスコッチョは、やはり現在のものよりは、かなり堅く、ぼそっとして、甘さが少ない物であったと思われます。

この様なビスコッチョ=カステラは、その後日本人により日本人の嗜好に合わせて配合、形態等に創意工夫が加えられ、技術の改良が重ねられて、より美しくより柔らかく、よりしっとりした現在のカステラへと変化していったのです。



かくして今日の日本のカステラは、その起源は欧州(スペイン)にあるものの、わが国において独自の発達を遂げ、
現在のカステラレシピに落ち着き、おそらく世界のスポンジ菓子の中でそれ単体の完成度としては最高の位置に到達したと言っても過言ではないでしょうか。



〈まとめ〉
①南蛮貿易が盛んだった当時の日本で、ポルトガル人が
「カスティーリャ王国のお菓子」として日本に持ち込んだものと言われている。

②持ち込まれたお菓子は現在のカステラとは程遠い「2度焼きした硬いお菓子」だった。

③その後、我々日本人の創意工夫によって、現在のカステラレシピが確立され、今のふんわりとしたスポンジ菓子に進化した。


  • 2024.06.04
  • 15:00



下記にメールアドレスを入力し登録ボタンを押して下さい。

変更・解除・お知らせはこちら

Amazon Pay
楽天ペイ(オンライン決済)
インボイス登録店





 

カレンダー
  • 今日
  • 定休日
  • 臨時休業

ページトップへ